東京神田美土代町で
ランプ用石油販売の大家商店を創業
私たちの創業は明治12年、西郷隆盛が明治政府に反旗を翻した「西南の役」の2年後です。おそらく、世情はまだ不安定だったでしょう。
しかし、人々の暮らしには確実に西欧文化が流入していきます。その一つが石油ランプでした。その燃料を提供することから、私たちは石油の普及に一役買ったのです。
一方、菜種油、ゴマ油などの油脂販売も手がけ、後に「東京油問屋市場」の営業人に名を連ねるようになっていきます。
ライジングサン石油特約店として
ガソリンスタンドを開業
石油ランプはやがて電灯に凌駕されます。明治末から電灯が普及し始め、大正時代には東京市内全域で使われるようになり、油業界も大きな変化を迫られたのです。その頃、私たちは旧昭和シェル石油の前身「ライジングサン石油」と契約、特約店としてガソリンスタンドの経営を始めました。 関東大震災の二年後で、まだ復興途上であった東京。その街中を走る自動車に私たちの先輩は明日へのエネルギーを感じたに違いありません。
東英石油株式会社設立
不況による大口需要家の倒産から
学んだ経営方針
終戦直後の混乱を経て、昭和24年大家商店の石油部門を独立させて東英石油株式会社を設立しました。
昭和25年頃から日本経済はようやく復興の道を歩みはじめました。しかし、昭和28~29年に押し寄せた不況の波で大口需要家が次々倒産。手形は不渡りになり、仕入れにも困るありさまでした。私たちはこの経験から、需要家を徐々に法人から個人にシフトし、現金売買を基本経営としていきました。
国産自動車普及とともに
安全確実に売上高を伸長
昭和35年頃から国産自動車が「マイカー」として普及し始め、ガソリンスタンドに来るお客様も個人需要家が次第に増えていきました。特に、地域に密着したガソリンスタンド経営に努めていた私たちは、お客様の心をつかみ、固定ファンを着実に増やしていったのです。
東英興産株式会社設立
第一次オイルショックの前年に
多角化に乗り出す
高度成長期時代の昭和47年、東英興産株式会社を設立。 本社隣のニュー美土代町給油所を閉鎖して、立体駐車場併設のオフィスビル建設に着手しました。
翌48年3月に第一東英ビルとして竣工。オフィスビルと駐車場を中心とした不動産経営事業に乗り出しました。
時代は昭和から平成へ
SSの積極的リニューアルと
オフィスビルへの転換
昭和60年代から、私たちは運営していたSS(サービス・ステーション)を相次いで全面改装、車のことはなんでもお任せいただけるトータルカーケアセンターとして多くのお客様の支持をいただき、売上を大きく伸ばすことができました。
一方、都心の九段と美土代町のSSはオフィスビルへの転換を計画、平成元年に東英九段ビル、同3年に東英美土代ビルが竣工しました。
本社ビルを解体し、
本社を移転
80年以上にわたって私たちが仕事を続けてきた本社ビルを老朽化により解体。本社を東英美土代ビルに移転しました。これを機にCI(コーポレートアイデンティティー)を改めて策定し、時代とともに変わりゆくお客様のニーズにお応えすべく、新たなスタートを切りました。
事業領域の拡大のため、
宅地建物取引業免許を取得
不動産関連事業の更なる事業領域の拡大のため、東英興産株式会社にて宅地建物取引業免許を取得しました。従来より続けている自社所有不動産の賃貸管理のみならず、賃貸や売買物件の仲介、また土地・建物の取得・開発やバリューアップを手掛けることにより、不動産の流通促進あるいは価値向上の観点でこれまで以上にまちの発展に貢献できると考えています。